9月10日は1943年に鳥取地震が起きた日です。
過去に何度か鳥取地震については触れたことがありましたが、概要をまとめたことがありませんでした。
ちょうど9月10日ということもあり、今回は改めて鳥取地震について触れてみたいと思います。
1943年 鳥取地震の被害内容
鳥取地震による被害の概要は以下のとおりです。
・家屋被害
全壊家屋は7,485戸、半壊は6,158戸
家屋の全壊率は80%を超えたという情報もあり、壊滅的な被害でした。
・人的被害
死者数は1,083名と甚大な被害が発生しました。
内、702名は女性でした。
戦時中だったため、出征している男性が多かった結果のようです。
・火災
この地震では16か所で火災が発生し、
- 全焼した住宅:250戸
- 半焼した住宅:16戸
- 住宅以外の全焼:156戸以上
という被害が発生しました。
火災の原因は夕方の地震発生のため、夕食の準備による薪炭の火が主なものでした。
なお、地震発生から家屋が倒れるまでにやや時間があったとのこと。
そのため、上下動がかなり小さかったようです。
鳥取地震(1943年)での延焼火災
鳥取地震では251戸の家屋が全焼に及んでいます。
このような延焼火災による被害に及んだ原因は、
- 16か所と出火した箇所が多かったこと
- 密集地で倒れた家屋が重なりあってしまい、延焼しやすくなったこと
- 水道が止まって水が出なくなったこと
- 市内の川(袋川)の水位が低く、川の水の取水が簡単ではなかったこと
- 倒れた家屋が道路を塞ぎ、消防車が通れなかったこと
- 貯水槽からは地震で水があふれた、倒れた家屋の下になって使えなかったものが多い
等が挙げられています。
一方、この地震の火災の延焼は、以下のような理由でこの程度で留まったともあります。
- 風が無かった
- 地震の前に雨が降り、湿度が90%以上
- 家屋が倒れたことから、破壊消防をしたのと同様の状態になっていた
- 警察等以外でも約1,000名の隣組がバケツリレー等で消火にあたった
以上の教訓から、
- 地震時に延焼火災が発生した場合は水道管や貯水槽が壊れることを前提として、家屋の破壊消防が重要になること
- 家屋倒壊により緊急車両が通行できなくなるため、道路啓開作業を急いで行う
などが大切になると考えられていたようです。
過去の3つの鳥取地震の奇妙な共通点
この1943年の鳥取地震の後、鳥取県は2000年の鳥取県西部地震、2016年の鳥取中部地震という大きな地震を経験しました。
つまり、鳥取県東部、中部、西部の3か所で大きな地震が起きています。
以前のメルマガでもお伝えしましたが、これらの地震には奇妙な共通点があります。
直近の大規模地震である鳥取県中部地震は
2016年10月21日 14時7分に発生
最大震度は6弱(マグニチュードM6.6)
鳥取県西部地震は
2000年10月6日 13時30分18秒
最大震度は6強(マグニチュード M7.3)
そして、鳥取地震は
1946年9月10日 17時36分54秒
最大震度は6(マグニチュード M7.2)
これら3つの奇妙な共通点はどこでしょうか?
3つの地震ともに、午後に起きています。
実は共通点はそこではなく、曜日なんです。
鳥取県西部地震は金曜日の午後に起きました。
鳥取県中部地震が起きた10月21日も、金曜日でした。
どちらも金曜日に起きている地震だったことに気が付いていました。
そして、もしかして、鳥取地震はどうなんだろう・・?と
地震が起きた1943年9月10日の曜日をgoogleで調べてみると、
というように、なんと金曜日だったんです。
このように、鳥取県内で発生した東部、中部、西部の3つの大規模地震はすべて金曜日の午後に起きている・・
という奇妙な共通点がありました。
まとめ
9月10日は1943年に鳥取市を中心として甚大な被害を及ぼした鳥取地震が発生した日であることにちなんで、今回の記事では
- 鳥取地震の被害概要
- 鳥取地震による延焼火災
- 鳥取県内で発生した3つの大規模地震はすべて金曜日の午後に起きていた
という3つについて紹介しました。
ついでに言うと、東日本大震災も金曜日の午後に起きています。
この奇妙な事実に気が付き、どうも金曜日の午後は毎週そわそわします。